馬場駿吉(俳人、美術評論家)
跋 句画集『足音を生むために』より
靜謐な風景のモノクローム撮影に心血を注ぐ寫眞家ユニット水野誠司・初美夫妻―その人と作品に魅せられてからほぼ十年。數年前のある時、私の俳句とのコラボレーションによる寫眞俳句集を刊行する企ての提案をいただいた。從來から繪心のある俳人たちによつて、多くの場合、自句と自畫を色紙の上に出遇はす自己完結型の〈俳畫〉と呼ばれる表現がある。だが、水野夫妻の提案は、自己の寫眞作品を他者がどう反應してどんな想像の翼を擴げるかを知らうといふ試み―さうした實驗的な場に寫眞作品をそつと解き放つてみたいといふ考へがめざめたのだらう。さうした受容と反應の能力を私の俳句に認めて下さつたことをまづ感謝申し上げたい。
今回の收載寫眞作品の多くは、夫妻が北歐、ことにフィンランド滯在中に得た成果であり、接した風物が一瞬あらはにした肌理そのままを私たちに傳へてくれる秀作揃ひだ。ほとんどの作品に敷衍する沈默と靜寂がふと漏らす息づかひ―それが言葉となり、さらにかすかな聲となるのを聞き漏らすまいと私たち鑑賞者はおのづから耳を澄ますことになる。
その時、私たちの耳の奧にある薄い鼓膜は音ならぬ音にも共振し、その發信源の映像から新しい想像力が羽化してくるのが體感させられるのだ。いま、ここに述べた言葉が、單に修辭ではなく、水野夫妻の近業に基づくものであることをここに言ひ添へておきたい。
それは和紙、三椏あるいは雁皮紙に映像を定着させる、といふ發想だ。西歐の畫家が早くから和紙といふ素材に關心を持ち、それを作品にとり込んだ證しが、レンブラントの銅版畫に殘されてゐるのを眼にしたことがあるが、和紙がどのやうなルートでこの巨匠の手に入つたのか、などの正確な知識は持ち合はせない。しかし、寫眞發明以前における銅版畫の役割の一端を考へる時、それが水野夫妻の發想に時空を超えてつながる不思議さを思ふのだ。ことに雁皮紙は鼓膜のやうな薄さで、植物纖維といふ有機生命體につながる材質感が映像と重なり合つて、未だ見ぬ寫眞のありやうを生み出してゐるところに驚かされるのだ。
今回の寫眞とのコラボレーションの機會を與へられて、寫眞と言葉(俳句)との閒に異次のイメージが廣がることにつとめたが、本書を手にしてそれを少しでも感じとつていただけたら嬉しい。このチャレンジングなコラボレーションの機會を與へられたことに再度謝意を表して筆を擱きたい。
また、細やかな心配りを惜しまず、このやうな美しい一册を世に出して下さいましたコロンブックス湯淺哲也さんに深謝申し上げます。
二〇二一年二月 馬場駿吉